2.5舞台断固拒否の理由がわかった話

 

 

どうもこんにちは。オタクです。

推しグループが解散して虚無になっていた私ですが、最近また推し(推しコンテンツ)を見つけました。

簡単に言えばソシャゲ。女性向けソシャゲ、三つにハマりました。

……まさかの次元超えですはい。

でまあそれは置いといて。次元を超えても楽しくオタクはしていたし今もしているんです。同人活動とも言い換えられる、公の場で公開できる二次創作文化にビビり倒しながらも私はソシャゲ沼にずぶずぶとはまっていって、そして新たなる文化に出会いました。

 

舞台化

 

舞台化の文化があるのは私が沼っているコンテンツ三つのうち二つでした。(A、Bとする)

舞台化ときいても私はいまいちピンと来ません。何せハマりたてなので。でもタイムラインの人たちが嬉しそうにしているし、舞台化かあ、ふうん、と。興味が湧いた私は先にハマった方のコンテンツAの公式YouTubeでダイジェストを見ました。

 

衝撃

 

この場合良い意味では無いです。

「あっ舞台化ってそういう…!?」っていう気持ちでした。キャラあのままが舞台上に3D投影されて声優さんが声を充てるものだと勝手に思っていた私は雷に打たれた心地でした。そんな科学技術ないはず(あったらすみません)なのに、勝手にそう思ってた。

2.5を楽しんでみる方々にとってあの方々はキャラそのものなんでしょう。推しがその場で動いている、とか、推しが喋っている、とか、そういう感想をたくさん見ました。でも私には「コスプレした俳優さん」にしか見えなかった。いやマジで本当に申し訳ないんですけど。これ誰もが通るギャップじゃないんですか?違うんですか?

 

ビジュアルが衝撃すぎて私はそれ以降見なかった。ストーリーが良いとどれほど聞いていても、見られなかった。

 

 

そのうちハマったもう一つのコンテンツBも舞台化してた。ものすごくクオリティが高いと評判だったんだけど、2.5にたいして強い嫌悪を抱いてしまった私は見るはずもなかった。チケット戦争は当然応募しないし、配信だって見ない。無料公開されていた過去作の配信だって見なかった。無料、なんてオタクが大好きな言葉なのにね。

なんでだろう、なんでだろうと私が嫌悪を抱く理由を本気で考えた。もともと私はジャニーズオタクだ。演劇が嫌いなわけじゃない。推しが出る舞台には何度も行った。中にはクソみたいなのもあったけどほとんどは楽しんで観劇していた。

 

なのに、コンテンツのファンが、俳優さんたちがコスプレしてる姿を「〇〇(キャラ名)だ!」としてグッズを買うのを理解できなかった。だってそれは、私にとってはキャラじゃない。高クオリティのコスプレをした俳優さんだ。

そう思うたび本当に自己嫌悪に陥った。私だって推しをみて「〇〇(舞台上の役名)だ!」と言っていたのに。

 

しかしそこで、私はようやく気づいた。

 

推しが誰かに演じられていることが嫌なんだと。

 

 

ジャニオタの頃、推しは当然生身の人間だった。彼の代わりになる者など誰もいない。推しが誰かに演じられるなどあり得ない体験だった。(ちなみにモノマネ芸人さんとかはモノマネだから楽しめる)

 

ソシャゲのキャラだって当然、一人一人、代わりになるキャラなどいない。俳優さんだって代わりをしているわけじゃない、彼らは本気でキャラになってくれている。

 

だけど結局、それは演技なのだ。演技が上手い下手とかの問題ではない。

原作と声が違う、とか、所作が解釈違い、とか。そういう細かい、重箱の隅をつつくようなことに気付いてしまえばもう終わりだ。あっという間に作品を、なんならコンテンツそのものを楽しめなくなるだろう。

原作とその舞台化は別物として考えるべきなのだろうけれど、そうするには私はあまりにも三次元のオタク歴が長かったし、なにより柔軟性がなかった。別物と捉えるには、まだまだ時間がかかる。

 

推しが演じるのはいいのに演じられるのが嫌なのか、都合のいい頭だと罵られるかもしれない。でもそれが私の2.5舞台への嫌悪の正体だった。

いつか私も楽しめる日が来るのだろうか。とりあえず、私は公式YouTubeのダイジェストをもう一度見るところから始めてみようと思う。

 

 

モヤモヤが晴れてすっきりとしたし、こんな気持ち誰にも吐き出せなかったからここで供養します。もし同じような疑念を抱えている人がいれば、参考になれば幸いです。